ランチをした「メナージュ」は、東松島の海からは1キロくらい離れているでしょうか。
鎌倉でいうと鶴ヶ丘八幡宮から海が見えないように、メナージュからは海は見えないのですが、
津波はメナージュまできたそうです。
今でも壁の真ん中あたりに波によってついたシミのような筋が残っています。
筋から下は泥水で、筋から下を雑巾で全部拭いたそうです。
東松島に行って、ステガのみんなとも親しくなるにつれて、
あの日、あの時間どうしていたか…を直に聞いて、
今日は濁流に呑まれながら九死に一生を得たステガさんのお話に涙が出てしまいました…。
濁流に一度は呑まれて沈んだけれど、
電信柱みたいなところに「くの字」に引っかかって助かり、
「助けて~」と声を出したら見ず知らずの男性二人が気がついてくれて、
窓から身体を乗り出して引き上げてくれた…と。
身体中、泥だらけだったと。
だけど、今はみんな笑いながら生きています。
刺繍に出会えて本当に良かったと、言ってもらえるのですが、
いちばん難しい図案のサンプル作りに挑戦するのが漁師のおばちゃんだったり…、
行くたびに本当に私のほうこそチカラをもらっています。
ランチの後、仙石線(仙台と石巻を結ぶ電車)の出発時間まで少し余裕があったので、
みんなのツリーハウスを見に連れて行ってもらいました。
この景色の先に、そのツリーハウスはあります。
このツリーハウスは、東松島の子供達を中心に100人が関わって建築したみんなの夢の基地。
再建までに、あと4年かかるという今は仮設の野蒜小学校の子供達の夢を乗せて、
4年後まで子供達の夢をはぐくむ場所になって欲しい…、
と、それを実現させたのはC.W.ニコルさんとツリーハウス建築家のチームのみなさん。
そして東松島みらい都市機構の方々。
連れて行ってくれた東松島みらい都市機構の担当者である高田志津さんは、4歳の女の子のママなんですが、ご自分も自宅の目の前まで津波が押し寄せたように被災されているのに、
いつも人のことばかり考える素敵な人。
いつか、海から遠く離れたこの森の奥に小学校ができたら私も家庭科の非常勤講師になることを約束しました。
それから仙台に出て、
せっかくだから仙台三越に寄りました。
大島店長と。
「私はまだ辛くて泣いちゃいそうで、東松島に行くことが出来なくて…。」
という大島さんの言葉に、
私なんて東京からのこのこ行って、
本当に地元のみなさんの気持ちを理解出来ているのかなと反省したくらい。
でも、これからも頑張らないとね。
やめることは出来ない…。
本当に復興するまでは。
ご協力もいただければ幸いですと心からお願い申し上げます♡